南佐久の建築   

五稜郭 佐久市田口
 築城大概要(大給亀崖公伝・田野口陣屋日記による)
一、所 在 地 信濃国佐久郡田野口村字龍岡
一、総 面 積 二百七十五坪(66.694u)
一、設    計 堀幅  四間 (7.27m)     大手門前 五間 (9.09m)
          土塁 高さ 七尺五寸 (2.27m)   幅  四間 (7.27m)
          周囲堀長さ三百七十五間(682m) 堀の深さ一丈二尺(3.64m)
一、着工及竣工 元治元年三月着工   慶応三年四月竣工
一、総  工  費 四万余円
一、普 請 奉 公 家老 出井勘之進
  昭和七年〜八年  保存会にて復元工事施工
  昭和九年五月一日  文部大臣より史跡に指定
五稜郭 佐久市田口
 函館とともに日本に二つしかない星形稜堡の洋式築城で貴重な史跡である。この城を築いたのは大給松平氏最後の藩主乗謨(のりかた)。  元治元年三月、田野口村が献上した同村龍岡の地に、領下各村より献金・献木と割り当てた人足、それに近隣他領の村々からも、労力奉仕や献金あり着工している。五稜郭の一番難工事は石垣で、当時伊那高遠藩が洋式築城石工を積極的に養成し方々へ派遣していたので、これを招いた。棟梁二人が石工六十人とともに来て、三年をかけて建設している。石は千曲川東一帯に産出する、佐久石を切り出し使用している。 
五稜郭 佐久市田口
 
 五稜郭敷地内にある、庫裏。
 
稲荷山公園 佐久市臼田
 
稲荷山公園は昭和31年に供用開始され、4.0fの面積。
神社参道の階段に設けられた鳥居の列。
 
新海三社神社 佐久市田口
 三重塔 永正12年(1515)
 古くより佐久三庄三十六郷の総社といわれ、また武神としても崇敬あつく、源頼朝による社殿修理再興の口碑、武田信玄の先勝祈願の願文も残されている。広大な境内にある三重塔及び東本社はともに室町時代の建築で、国の重要文化財に指定されている。
新海三社神社 佐久市田口
 
 三重の塔を、東本社軒下より見る。