2番札所 東漸寺 小諸市滋野甲671 | ||||||||
天台宗 宇賀山観音院東漸寺 戦乱・火災等で貞和二年(1346年)第二十一世 専海住職までの資料がなく、開基年代は不明。寺伝によれば、平安時代 後期第三代天台座主慈覚大師圓仁が東国巡化の折に開基したと伝えられている。 本尊は阿弥陀如来である。初めは洞善寺と称していたが、正徳五年(一七一五年)以降から東漸寺と称している。 寺子屋を長期間行っていたが、元治元年(一八六四年)手習い子どもの火鉢よりの失火により本堂・庫裡を全焼した。 急遽、明治二年(一八六九年)本堂・学校・庫裡を兼ねて、現在の庫裡が建てられた。 明治六年(一八七三年)より精業学校と呼ばれた。又、現在の本堂は、昭和四年(一九二九年)敷地拡張を行い、 昭和十七年(一九四二年)落成した。 宇賀観音堂の由来 天長年間第三世天台座主慈覚大師円仁が千曲川北岸の地観音平に馬頭観世音を本尊として開基したと伝えられている。 その後当山第二十八世円海代正徳二年に深沢の地へ移転佐久札所二番深沢観音として興隆、 「深沢につくりし罪もさんげせば朝日さすまに露と消えなん」 と詠まれた。 昭和五十四年 伽藍の老朽化に依り当地へ移転新築 字賀観音と改称する。 |
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