建築士フォーラム2010 in 上田 「国宝・重文三寺めぐり」 H22.11.20(土)  大竹 雅英
 日本の古建築の中で、五重塔と三重塔に興味がある。何故かと問われると、木造塔は眺めているだけで理屈なしに美しい。また、地震で倒れないという不倒神話があり、その技術は現代の構造力学でも解明できない謎のひとつでロマンがあるからだ。現在建設中の東京スカイツリー(高さ634m)の建築構造にも、五重塔に倣って心柱を応用した制振システムを採用しているという。
 建築史家や建築構造家たちの様々な仮設について、『五重塔はなぜ倒れないか』上田篤編に書かれているので、今回の三重塔めぐりに参加するにあたって読み返してみた。柔構造の提唱者でもあった故棚橋諒博士は、塔の持つ高い耐震性を次のように説明している。@塔は一般の構造物に比べてゆっくり揺れる(固有周期が長い)。A塔は単位面積当たりの木材使用量が多く水平力に対する抵抗力が大きい。B塔は大きい変形に耐える(仕口部の遊びによって塑性変形能力が大きい)。C塔は木の組物で振動を緩和する(減衰効果が大きい)。以上の4つは今日の超高層建築の制振理論に応用できるセオリーで、古の工匠の知恵に驚かされる。
 わが国の木造塔のルーツはインドのストゥーパ(卒塔婆)であり、仏教ともに中国大陸から朝鮮半島を経て日本に伝えられた。心柱・相輪・深い軒の出・斗と肘木・飛檐垂木・勾欄など、日本人の美意識によって独自のプロポーションを持つ造形美に発展したようだ。
大法寺三重塔  今回は「国宝・重文三寺めぐり」として塩田平にある大法寺三重塔(国宝)、前山寺三重塔(重文)、安楽寺三重塔(国宝)の三寺を訪ねた。いずれも山地寺院であり、周辺の景観との調和を考えて山腹に三重塔が配置されている。全国に国宝三重塔は13基あるが、長野県がその北限であり、しかも13基のうち長野県の2基は塩田平にある。身近に貴重な建築遺産が大切に保存されていることは、とても幸せなことだと思う。
 青木村の大法寺三重塔(国宝)は、修理の際に見つかった墨書によると鎌倉時代から南北朝時代に移る過渡期の1333年に造営中で、四天王寺の工匠によって造られたと分かった。大阪から工匠8人がやってきて造営に関わり、地方的なくずれのない手法で正規に造られている。当時の中央の建築技術が工匠たちによって地方へどう伝わってきたかを想像すると楽しい。塔の姿があまりに美しく何度も振り返るほどであることから「見返りの塔」という名で親しまれている。初重は二手先、二重、三重は三手先の組物としているため、屋根の大きさが上層ほど小さくなりズッシリと安定感がある珍しい工法だ。屋根の桧皮葺の反り方が絶妙でとても美しい。造営当時は、朱や緑色で鮮やかに着色されていた形跡がみられる。住職がコンパネ板に三重塔を切り貼りした姿図を準備していて、三重塔の特徴を詳しく説明してくださった。
 前山寺三重塔(重文)は、室町時代1514年造営。縁も高欄も途中で造るのを止めてしまったように「貫」だけが出ているので、「未完成の完成塔」と呼ばれている。敢えてやりかけのまま、現状の簡素な状態で調和がとれていて既に完成していると見る考え方もあるそうだ。うーん、と唸ってしまった。凡人には理解が難しい。内陣の天井の隙間から見上げると、太い心柱が初重天井上の梁に立つ(吊られている?)のが見える。住職夫人手作りの名物”くるみおはぎ”をお茶、漬物と一緒に美味しくいただいた。
 別所温泉にある禅宗安楽寺の本堂裏の急な山道を登ると、山腹に三重塔が見えてくる。安楽寺三重塔(国宝)は、蝦虹梁の伐採年(1289年)から鎌倉時代末期の造営と科学的に証明された。禅宗様の八角三重塔で、初重に裳階をつけた珍しい形式だ。日本に現存する唯一の八角形の塔。見上げると禅宗様の特徴である扇垂木が美しい。三重塔の心柱は初重天井上の梁に立つことが普通で、内陣の真ん中に本尊を安置する空間ができる利点がある。住職の案内で二段天井が美しい内陣の須弥壇に安置されている大日如来像を拝ませていただいた。
最後に、「建築士フォーラム2010 in 上田」を企画・運営していただいた皆様に感謝いたします。